
4月からはじまりました関西出身の演劇人にインタビューをさせて頂くコーナー「突撃インタビュー」の第2弾は関西から生まれました超有名劇団!!あの劇団☆新感線の知性派役者!粟根まことさんです。ではお願い致します。
Q、「関西小劇場について…」
私が東京に引っ越して5年ちょいなんですけど、ちょうどOMSが閉館する少し前だったと思います。というのも僕らのベース(稽古場・アトリエ)がOMS(※1 扇町ミュージアムスクエア)でしたから、そのOMSの閉館に伴なって活動の拠点を東京に移したって事なんです。ですから正直言うと、長らく大阪で芝居を観ていないんで、今「関西小劇場について?」と聞かれると少し難しいですね・・・。

だから僕がいた頃の関西小劇場の話させて頂くと…、うちの稽古場はミュージアムスクエア内にあって、万歳さん(南河内万歳一座)と新感線(劇団☆新感線)が隣り合わせだったんですけど、そういうベースが有るって事がものすごく大きかったんです。この間も関西の劇団関係の方と話していたんですけど、
「ベースがある無いってのは大きな違いが有るよね」
って話だったんです。やっぱりどうしても関西の劇団さんは小さな稽古場を転々としたり、日によって変わったりして稽古場を押さえるのに苦労してますよね。それをせずに稽古が出来るっていうのは精神的なバックボーンになるので、OMSさんには僕ら新感線も万歳さんも凄くお世話になってて、今があるのはそのお陰だと思うんですよ。だから今の劇団さんは大変だと思うんですけどね。僕らはOMSさんが無くなるんで東京に引っ越した様なものなんで・・・、それでも東京に名前が聞こえてくる劇団さんがたくさん出てきてるんで、出来るかぎり応援したいなと思ってます。
関:あの頃はスター選手がたくさん居られましたよね?
そうですね。あの時は変な勢いっていうか・・・僕が若い時は「そとばこまち」さんが一番有名で、その次に新感線・万歳・MOPっていう。若手って言う意味では「そとば」が小劇場ではトップみたいな、それに追いつき追い越せみたいな感じで皆が頑張ってたなぁーっていう・・・まぁ横の貸し借りは有りましたけどね。そとばに出たりそとばから借りたり万歳に出たりっていうような…面白い時代やったなーって思いますけどね。横のつながりはほんと大切だと思いますよ。たとえば昔のOMSプロデュースの様に面白い人を集めて公演をうつみたいな、ああいう事を企画していけるとまた関西小劇場も楽しくなるかも知れませんね。
関:そうですね。まだまだ僕らにそんな力は有りませんけど、人と人の間を繋いでいってそういう事をこのサイトで企画出来ていくと楽しいですね。
また、東京にベースを移したから分かった事なんですけど、大阪は経済だろうが演劇だろうが東京に次ぐ第2勢力だと考えてますけど、東京や他のところからするとあくまで大阪ってただの一地方なんですよね。だから何だって事は無いんですけど、僕らも大阪にいる時はそう思ってましたし。だから大阪の劇団さんは他より東京へのライバル視というかあこがれが強いのかも知れないですね。
関:確かにそうですね。いま僕らもそう思ってますから。笑

まぁそういう気持ちでだかそうで無くかは分かりませんけど、大阪の劇団さんが東京に公演で来ますよね?そうするといま関西のこの劇団さんは勢いが有るんだという事がひとつ分かりますね。いま東京の演劇人が知ってる関西の劇団は、皆さんもお知りだと思いますけど、ヨーロッパ企画だったりデス電所だったり鹿殺しだったり、若手系ならこの3つですかね。東京に出る事が全てでは無いですけど、1度東京に打って出るっていう勢いがあっていいと思うし、それが出来る劇団は大阪でも面白いんだという認識を僕らはしてますし、是非そういう劇団は観ていきたいなって思ってます。
関:やっぱり東京ですか?
うーん、例えば北海道をベースにしている「TEAM NACS」さんや博多をベースにしている「ギンギラ太陽’s」さんなんかは、別にいいやって思ってるらしいんですけどね。そんなに東京にいかなくてもって…。実際、東京公演は何年かに1回しかしないですし。ベースは北海道あるいは九州に有ると彼らは思っている。けど大阪の劇団ってやっぱりどちらかというと1度は東京にいきたいって思っている人が多いと思うし、やっぱりそれでうまくいけば大阪での動員も変わってきますし。全国での注目度が上がるし。そういう意味で考えると僕ら新感線もそうでしたし、やっぱり勉強の為でもいいですから一応やってみる。それでうまくいったところはお客さんも集まるし、おいしいスパイラルでまわっていくところもあるでしょうね。
Q、ではこの辺で新たな質問をさせて頂きますね。粟根さんが「これから目指すものというか指針」は如何ですか?

とにかく健康で元気でいられることですかね。舞台はやっぱり体力がいるものですので大怪我…骨折とかしたりしたら舞台に出られないですからね。それでもし本番中なら色んな人に迷惑をかけちゃいますし、本番後でも次の芝居が(仕事が)出来なくなりますんで、体調管理をして出来るだけ長く舞台に立ちたい思ってます。
関:それに向けて節制であるとか日頃気をつけられている事なんかありますか?
あんまり節制とかはしないんですけどね。一応、車に気をつけて歩くとか…(笑)
関:運動とかはされてましたか?
運動はしてないですね。球技がまず下手なんで・・・。小学生の時に地元の野球チームに入ってみたら、ボールも触らして貰えないような状態だったし。中学の時に卓球部入ってみたら、10人しかメンバーがいないのに8人のレギュラーに入れなかったみたいな。残りの2人ですね。なんせ僕は球技系が駄目なんですよ。
関:立ち回りなどはいつからはじめられたんですか?
やってないですよ。一回も。
関:えっ?新感線からはじめられたんですか?
昔は劇団員で見よう見まねでやっていたものを、ちゃんとしようという事で、元名古屋の「アクションクラブ」さんっていうチームに殺陣をつけていただいて、その時にどろなわで(付け焼刃で)覚えて、それで何年もやっている。未だに基礎を知らない。古田君(古田新太さん)とかじゅん君(橋本じゅんさん)は芸術大学を出てますんで演技に対して基礎が有るんですけど、僕はそんなんじゃなくて見よう見まねでしかやってないので、僕は芸大でもないし。
関:そうなんですか?
ええ、僕は工学部なんで演技の基礎を知らないんですよ。ほんとに見様見真似でやってるだけなんで。でもまあ運動に関しては駄目なんですけど、バランス系は得意らしくて、床運動なんかは得意ですね。体力は無いですけどバランスはいいようですね。
関:舞台で大きなお怪我をされた事は無いですか?
そうですね、舞台で大怪我をしたことは・・・あっ!ギックリ腰になったことは有ります。本番の直前になって凄く迷惑をかけたので、それ以来ストレッチをきちんとするとか定期的にマッサージにいくとかはしてます。
関:その公演は?
僕が30歳の時の「野獣郎見参」初演でシアターアプルの場当たりの最中で2日後が本番って時ですね。その時は殺陣の一番難しい部分だけプロの方に覆面をつけて代わって頂きましたね。それ以来体調に気をつけています。
関:これは個人的に聞いてみたい事なんですが「粟根さんがした失敗談」って有りますか?イメージ的にあまり失敗されてる絵が浮かんで来ないのですが。

まあ台詞を間違うとか出とちりなんかはちょいちょい有るんですけど・・・
あっ!舞台上でたちくらみをよくするんですよ。血が薄いみたいなんですけど、
ある商業演劇の舞台で、ものかげにかくれて立ち上がって大声を出すシーンがあって、このシーンはまずいなぁーって思ってたんですけど、ある日そのシーンでもの凄い立ちくらみをして、口は何かをしゃべらなあかんって思って必死になって台詞を言ってたんですけど・・・あとで、「おまえ2回同じ台詞をいったで」って言われて、全然気付いてなかったっていう…(笑)。なんでまわりの人は怪訝な顔をしてるんだろうって思いながら芝居を続けたんですけど、2回同じ台詞を言ってたっていう。こっちは頭が「ガーン」ってして景色がゆっくりとまわってるっていう感じだったんですけどね。鉄分のなんやらとかレバーとかは食べてるんですけどね。そういう事じゃなく造血機能が弱いんじゃないかっていう・・・(笑)
関:「粟根さんの始めての芝居は?」
高校は演劇部でちょいちょいと芝居をやっていましたけど、人前でお金をとって芝居をしたのは大阪大学の第2劇場ですね。作品は野田秀樹さんの「少年狩り」で増田米章役でした。そこから劇団ちゃかぽこ調書に入って、最後に新感線に入りました。
Q、では最後に「関西小劇場.comに期待すること」をお願い致します。
いま何処の劇団が面白いのか?関西の公演だけじゃ無くて、関西の劇団がいつどこで公演しますみたいな情報が載ってて欲しいですね。大量にある情報の中では拾いきれていない旬な情報を「大阪で評判の良かった公演をひっさげてあの劇団が東京にいくよ!」とかみたいな。そんな情報を僕らが見て「じゃあ行こうか!」みたいな、そんな情報が出来るだけ分かり易く載ってたら有難いですね。チラシとかは観てるんですけど。数が多すぎてフォローしきれないんですよね。
大阪生まれ大阪育ちですが、大阪でないと絶対いやだって言うタイプでは無いです。だけど大阪生まれは忘れられないし捨てられない。どうしてもやっぱり身にあるものなので、そんな感じで芝居を続けていければいいなって思っています。
この日は公演の中日で、さらに公演後という貴重な時間にも関わらず快く私たちの取材に応じてくださいました。実際にお会いしする事が出来、舞台上とはまた違うカッコ良さにひたすら感服・・・、粟根まことさん、楽しくためになるお話をありがとうございました。「五右衛門ロック」楽しみにしています!
 |
粟根 まこと: (あわね まこと、1964年8月7日)
大阪府出身。大阪大学工学部醗酵工学科中退。第2劇場、ちゃかぽこ調書を経て1985年より劇団☆新感線に参加。劇団☆新感線の公演では、知的でありながらどこか抜けたキャラクターを演じることが多い。劇団☆新感線以外にも、様々な舞台で活躍。
通常から眼鏡をかけており、舞台に立つ時もおおむね眼鏡を欠かさない。ただし舞台上では度の入っていない伊達眼鏡を使用している。非常に視力が弱いが、それがゆえ万が一眼鏡が壊れたり外れたりしても舞台上の演技に支障をきたさないための配慮である。
自分を動物に例えると、と言う質問には「ヘリクツアゴメガネ」という新種の動物と答えている
|
劇団☆新幹線:
1980年11月、大阪芸術大学舞台芸術学科の四回生を中心に、つかこうへい作品「熱海殺人事件」にて旗揚げ。
この公演が好評を得て翌81年オレンジルーム(大阪)にて再演。「いつも心に太陽を」「広島に原爆を落とす日」等ほとんどのつか作品を上演、つかこうへいのコピー劇団として関西学生演劇ブームの中心的存在となった。
当時の劇団☆新感線在籍メンバーとして筧利夫、渡辺いっけい等がいた。
84年5月「つかこうへいサヨナラ3本立」(オレンジルーム)と銘打ちつか作品と決別。
同年11月の「宇宙防衛軍ヒデマロ」よりハードロック・へヴィメタルに乗せた独自のオリジナル作品を中心とした体制に転換。
翌85年4月「炎のハイパーステップ」より中島かずき参加。以後、「スサノオ」(89年)「髑髏城の七人」(90年)等、座付き作家として劇団の代表的作品を書き下ろしている。
劇画・マンガ的世界を、コンサートばりの照明と音響を駆使し,歌舞伎の様式美をとりいれて演出された作品は、演劇ファンのみならず、音楽ファンをも巻き込んで観客動員数を驚異的に伸ばしつづけた。
役者陣も古田新太をはじめ、羽野晶紀、高田聖子、橋本じゅん等、現在の強力な ラインナップとなった。
“いのうえ歌舞伎”と呼ばれる歴史や神話をモチーフとした中島によるレパートリーを中心に、より音楽性を強調した生バンドとのコラボレーション”新感線R” 、コント色の強いドタバタアクション等、いずれも“活劇”にこだわった新しいエンターティメントを追求している。
※1.扇町ミュージアムスクエア(OMS)は、大阪ガス株式会社が遊休不動産の活用事業として、昭和60年(1985年)3月に事務所ビルを改装し、地域社会・若者文化への貢献を目的とした暫定施設としてオープンし、平成14年(2002年)12月に老朽化が進んだ為にビルを解体することとなり閉館。小劇場(フォーラム)、ミニシアター(コロキューム)、雑貨店、カフェレストランなどを備えた複合施設でした。特にフォーラムは、“関西小劇場のメッカ”と呼ばれ、関西小劇場界の中心的存在であった。また、平成6年(1994年)には、OMS戯曲賞がスタートし現在も続いている。 |