
今回で4回目となる突撃インタビューにご登場いただくのは、満を持して、という言葉がふさわしい辰巳琢郎さんです。京都大学在学中に『劇団そとばこまち』を主宰、劇団を人気実力ともに関西NO.1に育て上げた辰巳さんは、言わずと知れた80年代前半の関西小劇場ブームの立役者です。今回はそんな辰巳さんに、『劇団そとばこまち』時代の逸話を中心に、演劇人としての魂の源を伺いました!
Q、まずは原点のお話から。辰巳さんが芝居をはじめられたのは、高校生の時だったそうですね。きっかけは何だったんですか。
つかこうへい事務所の初めての大阪公演『ストリッパー物語』を観たこと。当時、高校2年生で16歳だった僕にとって『ストリッパー物語』はものすごい衝撃だった。学芸会ぐらいでしか芝居経験がなかった僕に「劇団を作ろう!」って決意させたぐらいですからね。
その後、一緒につかさんの芝居を観た、今はNHKで活躍している堤啓介君と演劇愛好会『劇団軟派船』を結成しました。旗揚げ公演の場所は修学旅行中に宿泊していた支笏湖観光ホテル、ドーラン持参で舞台用の厚化粧までして、修学旅行最後の夜の一大イベントにしてやろうって、結構反響は呼びましたね。
Q、『劇団軟派船』はそれからも活動を続けられたわけですか?
附高祭(学園祭)でやった2回目の公演『少女仮面』が大盛況でね。プレイガイドジャーナルに情報を載せて貰ったおかげで僕らの芝居を観ようと学校にホームレスの様なアングラ演劇ファンが大挙して詰めかけて大変でした。それぐらい唐十郎さんの全盛時代だったんですね。計5公演、3年生の最後の附高祭で、つかこうへい作品『出発』を上演して高校時代の演劇活動は終了したけど、もうその頃には卒業してからも芝居を続けていこうって決めていましたね。
Q、その後、大学入学前に当時は漢字表記だった『劇団卒塔婆小町』に入団されたわけですよね。『劇団卒塔婆小町』はそれから知名度をどんどん上げるわけですが、劇団内はどんな変革期を迎えていたのですか?

僕が入団したのは1977年、第2回公演から関わっています。78年には路線の対立から先輩達が全員退団し、1・2回生だけで新生『劇団卒塔婆小町』としてスタート。僕が全面的に制作面を担当することになったんだけど、まだ入団して間もないのに不思議と恐さは感じなかった。それよりも「これで、思いきりおもしろいことができる、やってやる」っていう高揚感の方が強かったですね。
知名度を上げるきっかけになったのは、その年に初演出したつかこうへい作『熱海殺人事件』。好評を得て、翌年に演出や構成を新しくした『熱海殺人事件'79』で観客動員数1000人を突破した時が、今から考えると大きな変革期だったんじゃないかな。その後に、劇団名を平仮名の『劇団そとばこまち』に変えて座長にも就任したから、僕自身後に引けなくなった頃です。
Q、観客動員が1000人というのは、その頃の関西小劇場にはなかなか見られない盛況ぶりですよね。
僕がその頃にいつも言っていたのは「学生劇団じゃなくてプロの劇団になろう」ということ。『劇団四季』くらいに知名度を上げて、お客も入れて、しっかり商業ベースに乗れるような劇団を目指していました。プロデューサーとしてチケットを売るために、ポスターやチラシを持って新聞社やテレビ局をしょっちゅう訪問していましたし、先輩に連れていってもらって飲み屋まわりも熱心にこなしていました。芝居は人に観てもらってなんぼの世界。チケットを売ることは、いい芝居を作ることと同じぐらい大事なことだから。
Q、『劇団そとばこまち』時代は本当に、休むことなく次々と芝居を上演されてきて、『熱海殺人事件』をはじめ思い入れの強い作品が多々あると思うのですが、中でも特に印象に残っているのはどの作品でしょう。
それはもう81年に上演した、安田光堂オリジナル作品『猿飛佐助』ですね。初日に、主役の一人が鼻骨を骨折して公演が中断したんですから。劇団員一同、舞台に並んで満員のお客さんに土下座(笑)。仕方なく演出の僕が一晩でセリフを覚えて2日目だけ代役を務めました。舞台は生ものだとか、魔物が潜んでいるとか、そんなことは解っていたつもりだけど、あの作品ほどそれを実感したことはなかったですね。予測できないアクシデントは恐い、本当に恐い。でもそうゆう事も含め芝居は楽しいのかな。
Q、そんなアクシデントに見舞われても『猿飛佐助』は観客動員数が2000人を突破していますよね?『劇団そとばこまち』が人気を博した理由を、辰巳さん自身はどう感じていますか。

単純に言うと、解りやすかったからじゃないかな。当時も今も変な芝居が多いでしょ?難解なことが良いこと、新しい…みたいな。『劇団そとばこまち』は、わかりやすくて楽しい芝居をしていたから、いわゆる演劇ファン以外の、普通の大学生や高校生が沢山観に来てくれたんです。僕自身、今も昔も解りやすい芝居が大好きです。昔は『シェイクスピアンシアター』や『東京キッドブラザーズ』が大好きでしたし。
Q、最近では、気になっている劇団や演劇人はいますか。
劇団では去年はじめて観た『キャラメルボックス』。いやぁ、おもろいね〜(笑)、ああいう芝居好きだなぁ。あと、こないだ観た大宮エリーさんの初めての芝居が面白かった。彼女はエッセイやドラマや映画の世界でも活躍してて、はじめて舞台の脚本と演出を手掛けたのが『GOD DOCTOR』。彼女の今後にはこれからも注目していこうと思ってます。
高校から数えたらもう30年以上、芝居に関わってこれたのは、おもしろい劇団や、刺激を受ける人との出会いがあったからでしょうね。
Q、同好会からだと、辰巳さんの芝居歴は今年で33年目ですよね。僕からすればとてつもなく長い時間に思えるんですが、芝居をやめたいと思ったことはなかったんですか?
あるよ、そんなの。しょっちゅうある(笑)売れない頃は医学部を受けなおそうかと思ったり…。でも続けていたから良かったこともいっぱいありました。面白い出会いもあったし…。
例えば、去年、出演した舞台『郵便配達夫の恋』の演出の吉川徹。彼は『劇団軟派船』の後輩で高校時代に『劇団そとばこまち』にいたことがあるんです。その後、劇団四季・文学座を経てフリーの演出家として活躍しています。本当に久しぶりに会った。26〜7年ぶりかな?あの頃は、まさか演出家と役者の立場で一緒に芝居作りができるなんて思ってなかった。お互い続けてきたからこんな再会もあるわけで、やっぱりやめられませんね。
Q、最後になりますが、これから目指されること、やってきたいことを教えてください。
「自分が観たい芝居をつくっていきたい。そこが原点で到着点。自分がそう思えなくて、観客が感動したり、笑ったりするわけがないでしょ。僕が『劇団そとばこまち』をやっていたのも「おもしろいことがしたい」っていう、ただそれだけのことだったからね。一緒に芝居がしたいと思える魅力的な役者や脚本家と出会って、「おもしろいこと」をやっていく。そんなシンプルなことでいいんじゃないかな(笑)。
いつも折り目正しく、紳士的なイメージが強い辰巳琢郎さん。この日も、一つひとつ言葉を選ぶように、丁寧に質問に応えてくださいました。そんな辰巳さんにひとつ、素朴な質問。「だらしない癖とかないんですか?」。すると即答で返ってきました。「時間に、ルーズなんだよね…」。 普段の国内移動はもとより、海外旅行すら2度ほど成田でまたロンドンでも搭乗予定の飛行機を見送ったそうです。今日はこの後、新幹線で移動のご予定とのこと。発車時間ぎりぎりまでお付き合い頂けました。お時間に間に合うことを心から祈りつつ、本当にありがとうございました!
聞き手:坂田大地/劇団そとばこまち
文・構成:桑原豊子
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辰巳琢郎:(たつみ たくろう)
俳優
大阪市出身。B型。京都大学文学部卒。
在学中は関西一の人気劇団『そとばこまち』を主宰し、役者としてだけではなく、プロデューサー、演出家として学生演劇ブームの立役者となる。
卒業と同時にNHK朝の連続テレビ小説『ロマンス』にて全国区デビュー。以来、知性・品格・遊び心と三拍子揃った実力派俳優としてテレビ、舞台、映画だけでなく、クラシックコンサートの司会や海外旅行・晩餐会のプロデュースなど幅広く活躍中。現在自身が企画、出演する『辰巳琢郎のワイン番組』(BSフジ)が好評放映中。NHK大河ドラマ『篤姫』には堀田正睦役で出演。8月からはミュージカル『サウンド・オブ・ミュージック』(東京芸術劇場ほか)にトラップ大佐役で出演する。
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