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土田英生さんの巻

  • 2008年12月 2日(火) 13:14 JST
今回の突撃インタビューにご出演いただくのは、京都を拠点に全国区で活躍されている劇団MONOの代表であり作・演出家の土田英生さんです。土田さんは劇団外の活動でもテレビドラマや映画の脚本など幅広く手掛けられています。そんな超多忙な中、稽古前の貴重なお時間を頂き快く取材を受けてくださいました。では宜しくお願い致します。



Q、土田さんの初舞台はいつですか?

学生劇団です。立命館大学の『立命芸術劇場』に入って、高取英さん(月蝕歌劇団)の「帝国月光写真館」という台本で三菱という役をやったのが初めてですね。額に三菱のマークをつけて、踊って出て来る……初舞台はそういう役でしたね。

Q、劇団を立ち上げようとされたきっかけは?

そうですね・・・1つの理由は大学を中退して役者になろうと思って東京の月蝕歌劇団ってところに入ったんですね。あっ!…物凄く月蝕歌劇団好きに聞えるかも知れないですけど・・・偶然なんです。学生劇団の初舞台とは関係なく、ちょうどその劇団が扇町(扇町ミュージアムスクエア)に大阪公演で来られていて、高橋ひとみさんや田口トモロヲさんが客演で出られていたんです。僕は両方のファンだったものですから、アンケートに色々と書いて帰ったんですね。ずうずうしく私も出たいというようなことを。そしたら主宰の方から連絡を頂きまして、それで1度ゲストで出演させて頂いたんです。学生だった私はすっかり舞い上がって、その気になっちゃって大学を中退して……で、そこに入ったんですよ。入ったんですけど・・・劇団の環境は凄く良かったんですけど・・・芝居の趣味がちょっと違うんですよね。ぐねぐね踊りながらちょっと日常的じゃない台詞をいうってみたいな芝居だったものですから。(笑)まあそれがあって、そうですね、1年東京でやったんですけど、まぁやっぱりやっていくなら自分の好きな芝居をやりたい。で、「自分の劇団を作ろう!」というふうに流れて行って。最初は東京でつくろうと思ったんですけど仲間が全然集まらないものですから、京都に戻ってきて、それでこの劇団を立ち上げたっていうのがきっかけですね。

Q、B級プラクティスさんからMONOさんに名前が変わられた事に何か意味はありますか?

もともとB級プラクティスは学生劇団内劇団みたいな感じだったんですね。立命芸術劇場という劇団のOBが組んで作ったユニットだったんです。東京に行く前はそこに僕も関わっていたので、東京から戻ってきた時、その名前を引き継いで劇団活動を始めたんです。ただ、その時のメンバーは当初のメンバーとは違ったものですから、やっぱり自分たちで新しい名前を持とうと・・まぁそれこそ「そとばこまち」みたいに何代も永遠に続いていればブランドみたいなものになりますけど僕たちはそうじゃなかったものですから。結局、B級プラクティスとして2年程活動してから今の名前に変えました。

Q、MONOさんの名前の由来は?

そうですね、その頃、関西では新感線さんや売名行為さんなんかが有名で、華やかだったんですけど相互客演が多い印象があったんですね。ですから作と演出は違っても出演者は同じみたいなイメージを僕は勝手に抱いていて、その頃は僕自身まだ若かったものですから「関西の演劇は馴れ合いになっている。だから私達は孤高の集団としてやって行く」みたいな事でモノラルのMONOにしようと……。まあ、そうですね。実は……改名した当時は取材にそのように答えてはいたんですけど……。実際は意味を後付けしただけなんです。僕はネオにしたかったんですよ。N・E・Oと書いてネオ。僕は凄くカッコイイなって思ってみんなに提案したんですけど、何故か良い賛同が得られなくて、妥協案で「じゃあMONOは?」って誰かが言って「どうして?」って聞いたら「何となく似てるじゃんMONOとNEO」って。しかも女優の1人には「NEOは何かネオソフトみたい」とか笑われたりしまして。僕は勝つ自信があったんですが、結局多数決を採ったら僕以外が全員MONOに手を挙げまして・・・それでMONOになってしまっただけなんですね。

Q、海外留学でのエピソードなどは?

エピソードを喋ると個人の失敗談ばっかりになっちゃうんで(笑)。ただ、留学して明らかに自分自身は楽になりましたね。簡単に言えば視野が広がったって事だと思います。ずっと関西の小劇場、特に京都で活動していた訳ですけど、ある時から東京の仕事が凄く増えたんですね。テレビドラマの仕事とかですが、そういった仕事をやりだした時期に、東京にいる自分の環境と京都に戻って来て劇団で稽古してる時の環境にあまりにも差があるように感じたんですね。その事に苦しみました。同じように苦労して10何年もやってきて劇団は大切に思うんですが、その反面、東京に行けばテレビ局の人が美味しいものを食べさせてくれるし、打ち上げに出ればタレントさんがいっぱいいて、そこには派手な世界があるわけですね。そのギャップに苦しんだというか。その中で「自分はどちら側の人間なのか?」みたいなつまらない事で悩んだ時期があったんですけど、それが留学でまったく無くなりましたね。
 なんかね・・・僕はほんとに人間が小さいんですね。例えば東京で「土田さんところの劇団は演劇界では人気なんでしょ?」ってテレビ局の人なんかに言われたら、そうだという振りをしてたりしたんですね。「まぁけっこうね」みたいな。実際は150人位の小屋でやってたりするんですけど・・・。うーん、どういったらいいんですかね・・・なんか相手に求められてる像を演じようとするところが僕にはあって、それはそのテレビ局の人と話していてもそうでしたし、京都に帰ってきたらきたで「俺は全然変わってないよ」みたいな振りをまたして。いやらしい言い方ですけど劇団員とも経済的に差が出来て、みんなはアルバイトをしているのに、生活出来るようになっている自分にも罪悪感を感じたりして。どの場所でも疎外されるのが怖くて必死になっていた自分が、留学をきっかけに全てが非常にナンセンスに思えたんですね。イギリスから見たら一緒だったんです。芸能界も小劇場界も東京も京都も。それで留学から帰ってきたからはその辺が上手に統合できるようになって、テレビの人にも「MONOっていう劇団はもうひとつブレイクしないんですよねー」みたいな事を正直喋れる様になりましたし、こっちに帰ってきても東京でやっている仕事について普通に皆と喋れるよになったので。もちろんイギリスの演劇から学んだ事ってたくさん有りましたけど、それ以上に視野が広がった事が一番良かった事だったんじゃないですかね。

Q、では話して頂ける失敗エピソードなんかはありますか?

演劇に関わる事で言えば・・・、僕は英語がペラペラだという事で乗り込んだものですからそれが自分の首を絞めましたね。劇場の文芸部に入ったんです。これが地獄なんですよ。読む戯曲が一週間に4本とかあって、それを読んでミーティングがある訳なんですけど、まず戯曲の内容が理解出来ない。そしてミーティングではネイティブの人達が「この戯曲のこの意味はなんだ?」みたいな事を言い合ってる訳ですが、日本語で喋っててもそういう話はしんどいですよね?それがまたこういう性格ですから知ったかぶりをして「Yeah、I see、Yeah」みたいな事ばかり言ったんですよ。それで「HIDEOはどう思う?」って聞かれたらもう困りましてね。「一言では表わせないよ」というフレーズばかり繰り返してました。で、黙って次の人が話し出すのを待つみたいな。案外上手い事行ってるんだって思ってたんですけど3回目ぐらいのミーティングに「HIDEOはまず英語を鍛えなさい」って言われて。3週間目で留学の当初の目的を見失ったっていうのが1番の大きな失敗だったと思います。(笑)

Q、書く事にコンプレックスをお持ちだとお聞きしたのですが?

今も変わらないですね。漢字を知らないとか・・・。もともと書くことが好きだった人っていうのはやっぱり色んな事を知ってると思うんですよね。けど僕は、ほんとにそういう基礎がない。それこそ戯曲集を出して頂ける時なんかに、原稿を送るとほんとに初歩的な誤字脱字を指摘されます。で、やっぱり編集の方も気を使って「これはわざとでしょうか?」って聞いてくれるんですけど、明らかにただの誤字なんですよ(笑)。「頷く」は今は「うなずく」が一般的ですが、土田さんは敢えて「うなづく」にされてるんですか?とか・・・「敢えてじゃないんだなぁ~」とか思いながら、最初は「何となく「づ」が好きなんですよねえ」って分かった振りをしてたりしたんですけど。(笑)最近は素直に間違いを認めてます。「知りませんでした」って。だから基本的にみんなが知ってる事を知らないんじゃないか?みたいな恐怖心は凄くありますね。もともと役者で後から書き始めたのでそういうコンプレックスは抜き難く今もありますし、勉強はしないといけないんだと思うんですが、最近少し開き直って来ました。小劇場出身の書き手なんてみんなそうだよって。免許貰ってる訳でも無いですし、みんな独学で書き方覚えてやっているので、それほど敏感になる必要は無いのかなって思えるようになりました。

Q、台本を書かれる時の素材やアイデアなどはどのように拾ってこられるんですか?

やっぱり一番栄養になっているのは、こうして人と会ったりして喋る事とか、盗み聞きとかですよね。喫茶店にとにかく座って隣りの人の会話を盗み聞くとか大好きですし、それが結構ネタになっています。性格悪いんですよね。人の偽善とかつまらない自慢話をこっそり盗み聞いて笑うのが凄く好きで……。まあ、僕自身が自慢話が凄く好きなんで、近親憎悪なんですけど、ただその事には常に自覚的であろうと思うんですよ。自分が自慢が好きだって事は分かっているつもりです。僕が一番興味がある人はそれを気付かずにやっている人ですね。特に関西なんかはけっこう上下関係があるでしょ。体育会系の。ちょっと名前のある演劇人が若手に喋っている会話を衝立越しに隠れて聞いてるのなんてたまりませんね。「俺が苦労したのはやな」みたいな話を気持ちよさそうに喋ってる姿は笑えます。そういう人の会話から物語を考えたり、発想を得る事が多いですね。もちろん本とか映画を観たりとかいうこともありますけど、日常生活で出会う人達を意地悪く見る事で発見する事は大きいですかね。

Q、東京と比較して関西の良さは?

最近崩れてきてるなって思って心配してるんですけど…。やっぱり関西の良さってマーケット規模の程よい大きさだと思うんですよね。東京と比べれば格段に小さい。それはまぁ、普通でいえばハンデなんですけど、青田刈りされなくて済むんです。その分、演劇が熟成出来るというか、例えば東京に評判が届く頃には、ずいぶん力をつけた状態になっていると。だから工房として創作する環境としては関西は良いなって思いますね。最近、京都でも若い子達を喋っていると「東京にいきたい」とか「早く売れたい」みたいな事を凄く言うので、それはまぁ各々の自由だと思いますし良い事だとも思うんですけど、僕は心配しています。東京の若手の子は出世をするのも早いですけど消えるのも早い。だけど関西の人で一旦表に出た人はわりと消えないですよね。それはたぶん表に出るまでにもう壊れないだけの自力を培かえる環境があったんだと思うんですね。そうすると例えばテレビの人から無謀な事を言われたり、商業演劇の方から無謀な事を言われたりしても、うるさいなと思えるだけの自分の美学が作れるんだと思うんですよね。それが関西小劇場の強さだったと思うんですけど、ちょっとそれが消えかけていて不安ではありますよね。

Q、土田さんがこれから目指されるものは?

そうですね。1つは劇団が来年で20周年になるものですから、こうなったら40年やってやろうと思ってることが1つと・・・、いま劇団では好きな事をやれてますけど他の仕事ではまだまだ制約が多いので、売れるとか売れないとかじゃなくてどんなジャンルでも「好きな事がやりたい」ですよね。やっぱり他のジャンルだとまだまだ事情に合わせてやっていかなきゃならないポジションに自分はいますので、何をやるときにもどんな仕事をやるときにも好きな事をやれるような環境にさえなれば……。後はどうなりたいとかは全然無いです。

Q、で気になる劇団や役者さんは?

気になる劇団・・・、評判になってる若手全てですね。

Q、それはライバルとしてですか?

そうですね。さっき言ってた事と矛盾するんですけど。(笑)「僕は売れるとか売れないとか関係ないですよ」っていう気持ちの裏側で、評判になってる人はやっぱり気になりますね。『評判になってる人は自信満々で、きっと、ちょっと上の世代をバカにしてやってるんだろう』って勝手に怯えています。

Q、京都では「ヨーロッパ企画」さんが評判だと思いますが?

あ、大丈夫です。ヨーロッパ企画さんと仲良くさせてもらってるので。僕は仲良くなったら大丈夫なんですよ。・・知らない人が怖い。きっと影で悪口言ってる……とか被害妄想を持つもんですから・・・。

Q、MONOさんで好きな部分や嫌いな部分は?

どうしてもメンバーに対しての意見になりますけど、やっぱり一番信用出来ますし、自分が面白いと思うことを作るにはメンバーがいないと出来ない部分が大きいので、そこは絶対的に劇団のメンバーを信用出来てますのでそれがMONOの魅力です。けどその分、役者達もそれを知っちゃってて、その事にちょっとした苛立ちを感じることはありますね。

Q、それは変な馴れ合いみたいな部分ですか?

そうではないですね。演出として駄目出しをした時は一応素直に言う事は聞いてくれるんで。ただ、常に新しくあり続けることへの意識は必要だと思います。

Q、劇団を辞めたいと思った時はありますか?

もちろん、何度もありましたよ。やっぱり劇団員が辞めたりする時ですかね。うちは比較的少ない方だと思いますけど・・・劇団員が少ないので1人抜けた時の衝撃が大きいんですよ。やっぱりメンバーが「抜けるよ」って言った時は考えますね。あと、やっぱり小人数なもんですからちょっとしたことで揉めるとそれだけで全部嫌になるんです。空気の抜けどころがないっていうか・・・今はメンバーも大人になってますし、劇団のバランスも取れててそういうことはないんですけど……昔、駄目出しの時に演出である僕が明らかに孤立してるなと感じた日があるんですね。更にその日の稽古場の帰りは全員がクモの子を散らすように帰っていったんですよ。僕もっと喋ったりしたいのに。メンバーは今日は絶対に土田には捕まりたくないみたいな感じで。あの日はほんと「もういやだ、劇団は辞めよう」って思いましたね。(笑)

Q、では最後に関西小劇場.comに期待することはありますか?

そうですね・・・、劇場が無くなっていったりしている事にリンクしているのかどうかは分からないんですけど、明らかに関西の元気が無くなっていってる気がするんですよ。個々はみんな頑張ってると思うんですけど、やっぱり繋がりみたいなものが大事だと思うし、関西で演劇をやってる人達が出会っていける様な場、総合理解を深めて色々喋っていける様な場を提供して頂ければなって思います。だから横断的にこういうかたちで活動してくださる方は必要だと思うんですよね。僕らもそうかも知れないですけど、自劇団とか自分の行く末に関しては非常にみんな敏感なんだと思うんです。若い子と話してたりすると「どうしたらいいんですかね?」とかみんな言ってるんで。ただ、全体で盛り上げるというか、そういう環境を下支えするような状況が無くなってる気がしているので、皆を繋いでいってくださるともっともっと関西自体が盛り上がっていくんじゃないかと思います。期待しています。


土田英生さん、垣脇純子さん、稽古前にも関わらず貴重なお時間を頂き本当に有難う御座いました。土田さんのインタビューの間はこちらのスタッフ2人と垣脇さんは笑いっぱなしだったんですが、それに輪をかけ記録用のビデオカメラを切った後のお話が最高でした。まだまだお話を聞かせて頂きたかったのですが稽古が待っている為退散させて頂きます。次回はこの続きを是非飲みの席でお願い致します。
本当に有難う御座いました。


聞き手:坂田大地・森有香/劇団そとばこまち
文・構成:鈴木仁




土田英生
劇作家・演出家・俳優/MONO代表
1967年、愛知県生まれ。
1985年立命館大学入学と同時に演劇を始める。1989年に「B級プラクティス」
(現MONO)結成。1990年以降全作品の作・演出を担当する。
張りつめた状況の中に身を置く普通の人々の佇まいや認識のズレから生じる会 話の可笑しさや哀しさを軽快なテンポで見せることで評価を得ている。1999年 には「その鉄塔に男たちはいるという」で第6回OMS戯曲賞大賞を受賞。2001 年、文学座に書きおろした「崩れた石垣、のぼる鮭たち」で第56回芸術祭賞優 秀賞を受賞。2003年9月より文化庁の新進芸術家留学制度で一年間ロンドンに 留学。
現在は劇作と並行してテレビドラマ・映画脚本の執筆も多数行う。
日本劇作家協会理事

★今後の予定
MONO第36回公演『床下のほら吹き男』
(作・演出・出演)
京都:京都府立文化芸術会館  2009年1月31日(土) → 2月1日(日)
東京:吉祥寺シアター  2009年2月6日(金)→ 2月15日(日)
大阪:ABCホール  2009年2月19日(木) → 2月23日(月)
名古屋:テレピアホール  2009年2月28日(土)  14:00
北九州:北九州芸術劇場 小劇場  2009年3月7日(土)→8日(日)


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